準決勝当日
目の前の試合で恒星が決勝進出を決めたのを見て、なぜか祐里が大きくため息をついている
「恒星かぁ。まあどっちでも楽ではないんだけどさ」
その呟きを聞いた竜也は、いつもの見開きポーズで祐里をしっかりと見据える
「まあ恒星のほうがいいんじゃね。何度も試合やってるから、知らない投手いないし。向こうは伊藤くんと対戦してない分、こっちが有利でしょ」
こうなることを見越していたのかどうか
渡島は恒星との練習試合では1度も浩臣を登板させていなかった
逆に恒星側の登録している投手とは一通り対戦済み
「だから今日は...そうだな、右内ちゃんがどこまで行けるかだわ。俺ら打線次第ですねえ」
試合開始
今日は先攻の西陵、予告通りシュートを引っ張って相手エースに嫌がらせをすることしか考えていなかった竜也に対し、相手バッテリーはまさかの徹底的な内角攻め
高め真っすぐ、足元へ食い込むスライダーであっという間に追い込まれる
予想とは違う攻めだったが、竜也はわりと落ち着いている
1度軽く打席を外しつつ、球審のストライクゾーンが嫌だわこれという思い
割とどこでもストライク取って来そうなそれで、これマジでシュートで酷い目に遭いそうと直感していた
そして3球目、待ってましたのシュートが到来
外角低めに逃げていくそれを、まさかのセーフティバント
謎のジャストミートをしたその打球は、鮮やかに三遊間を突破するレフト前ヒットでベンチや西陵側応援スタンドは大いに沸いている
「何だよ、今の。狙ったのか?」
ベンチで浩臣が笑いながらそう呟くと、祐里はああねと同意している
「三遊間開いてること多いから、1回やってみたいって言ってたよあいつ」
基本的にバントはしないのが渡島流
『野球は27個アウトを取られたら終わり。なのになぜ相手に1アウトプレゼントしなきゃいけないんだ』
先制点が欲しいこの場面でも、もちろんサインはなしでの強行策
最低でもランナーを進めたい京介に、相手は当然のシュート攻めでの併殺狙い
「昨日伊藤が特守を受けてくれればなぁ」
渡島が本音を呟いていると、京介は最悪のショートゴロ併殺に倒れている
すいませんと謝る恭介に、渡島は勝負は時の運だとただ一言
竜也はベンチに戻るとすぐに、万田と和屋を手招きする
珍しいことに驚く二人だったが、竜也が発したのは一言だけ
「俺ら左打者が“どげんかせんとあかん”」
とにかくシュートが邪魔な相手で、それが嫌で外側に立つとスライダーに追いつかない
右内が不安定ながらも2回まで0で抑えての3回表
7番の万田からの打順
初球のシュートを狙いすましてのレフト前ヒットから、8番の和屋へ続く
当然のように打てのサイン
和屋もシュートを狙うが、まさかの初球はスライダー
まるで曲芸師のように打った打球は三遊間へぼてぼてと転がる内野安打で無死1,2塁の先制点のチャンス
9番の右内は自主的にバントのサインを出すと、渡島は静かに頷いてそれを認める
例によって右打者には徹底的にシュートなのだが、右内はそれを逆手に取ってしっかり3塁手に取らせる綺麗な送りバント
いくらバントのサインが出ないとはいえ、選手は各自しっかり練習している
それをきっちり本番で決めてチャンスを拡大
絶好機。相手は前進守備を敷いてきたのを見て、敬遠はなさそう
先制点のおぜん立てが完全に整った場面、伝家の宝刀シュートを打ってやれば大ダメージだろうなと竜也は考えている
そして初球
来たーという感じで初球踏み込むと、まさかの“シンカー”
沈むボールを右手1本で対応したそれは、見事なぼてぼてののセカンドゴロ
無駄に弾んだおかげで、ゴロゴーで万田は生還し西陵が先制点を挙げる
曲芸というか、変態的な打撃で凡退したにもかかわらず本人はご満悦な様子で、データにないボールが来たことを渡島に報告する
「よく当てたな。さすがにやられたと思ったぞ」
渡島は呆れた顔で頷きつつ、メモを記している
相手投手にはシンカーもあるぞと触れ、盛り上がっていたベンチの空気はまた引き締まる
後続が続かず1点止まり。3回裏、4回表は動きがなく4回裏の相手の攻撃
先頭の4番打者の放った打球は、打った瞬間にわかるそれ
派手なバット投げを披露され、1-1のタイに持ち込まれる
動揺を隠せない右内は次打者を歩かせ、その後2アウトまでこぎつけるもヒット、そして死球で2死満塁の大ピンチを迎える
伝令かなと思う間もなく、マウンドに駆けてきたのは浩臣だった
「お疲れ。後は俺に任せてくれ」
右内を労いつつ、浩臣は投球練習へ入っている
その様子はいつも以上に落ち着いていて、大ピンチでの登板とは思えないそれ
竜也が2アウトと声をかけると、浩臣は手招きで竜也を呼び寄せる
ん? という感じで竜也が寄って行くと、浩臣はグローブで口を隠して小さく呟いた
「竜がちゃんとタイムリー打たないからだぞ」
言って、小さく笑っている浩臣を見て竜也は同じようにニヤリと笑って頷いた
「借りは返すから。この回は頼むよ」
その呼びかけに、浩臣は小さく頷いてみせた
初球のストレートを見た時点で、セカンドを守っている竜也は大丈夫だわこれと確信してしまっている
唸りを上げたボールに、相手は驚愕の表情を浮かべている
2球で追い込んでからの、最後は伝家の宝刀スライダーに手も足も出ない有様
浩臣はグローブを持った左手を右手で叩いて喜びを表した
ベンチに戻りつつ、浩臣は竜也に「1点取ってくれよ。後は俺が抑えるから」とサムズアップポーズ
均衡は続いての8回表
先頭の安理が大袈裟にアピールしてからの死球で出塁
続く万田はバントを試みるが捕手へのファウルフライ。和屋も粘ったものの三振と、左打者への攻めを変えてきた相手投手にランナーを進ませることすら出来ない有様
「仕方ない。俺がスタンドに放り込んで来るか」
“ルーティーン”で集中モードに入っている竜也に対し、浩臣はそう声をかけていると渡島が急に動きを見せる
『1塁ランナー千葉くんに代わりビッグブラウン賢人くん』
なぜか2アウトからの代走。賢人を使うなら無死からのほうがいいんじゃねという空気が各地から漂っている
「賢人はさ、盗塁はあんま得意じゃないからね」
祐里がネクストに向かう竜也に声をかけると、小さく頷いてそれに同意している
“なんでここで賢人を使ったのか、伊藤と杉浦ならわかるだろう”
そう言いたげなベンチの渡島の表情で、例によってサインは何もなし。ブロックサインこそ出ているが、それはただの見せかけ
しかし相手はそれを知る由もないので警戒している
あぁ、そういうことか
浩臣は一人頷いてヘルメットを被り直している
賢人が1塁ランナー。相手は盗塁警戒。外の速いボールを叩け
きっとこういうことだなと竜也も感じていると、案の定だった
初球ウエストからの2球目、2ボールにはしたくない場面なので外寄りのまっすぐが少し甘く来たところを浩臣が逃すはずがない
賢人のスタートの構えに釣られたショートをあざ笑うかのように、打球は三遊間真っ二つ
超快速を飛ばして賢人は3塁へ行き、2死ながら1、3塁の大チャンス到来
相手はたまらず伝令を送る中、竜也が静かに打席に向かう
いつものように一度天を見つめてから、ヘルメットを被り直すもう一つのルーティン
スタンドからの大歓声に後押しされ、一度大きく身震いする
そして、自然発生的に巻き起こる“杉浦ジャンプ”
“武者震いがするのう”(風林火山庵原之政ism)
“2塁”は空いているが、先ほど死球を与えていることもあり満塁にはしたくないだろうという予想
そして基本的に竜也は勝負が早いというのもわかっているだろうから、初球はまず見てやろうと決めつけを持った
初球は外に抜けたシュート、2球目も力んだのかワンバウンドしたスライダーを捕手が良く止めたそれ
2塁へ行けた感があったが、浩臣はわざとらしく自重していたのでベンチやスタンドから冷やかしの声がかかっている
「今の2塁行けただろ」
しかし竜也には、浩臣の考えはわかっていた
2、3塁だと間違いなく敬遠される、と。そして今日の京介は合ってないだけに厳しいだろうということ
“竜、決めろ”
無言の圧力を感じつつ、竜也はいつものように狙い球を絞る
隠し球のシンカーは確実に打てるとは思えないが、カウントを取りたい場面で投げて来るとも思えない
となれば...